ちょっと話は前後しますが、心の形を表現する、というセッションの後に、夕馬さんに言われた事。


私が自分の心を白い陶器と表現したこと。

無機質で、冷たくて、重い。


それを聞いて、ちょっと悲しそうな顔をされていたんですね。


それで、ご自分の母親のことを、どう思いますか?とか、インナーチャイルドの質問でも言われていたんです。


で、私の答えが、『人形』。


人の形をしているけど、中身がなくて、心が陶器でできているような感じではないかと…。

そんな感じのことを答えていたんですね。

なぜ、ご自分の心が陶器製だと思われたんですか?との質問には。


『人間らしい柔らかい心を持っていたら、とても生きていけない。』

そう、答えていたんです。


私の子供の頃は、精神的にあまり恵まれた環境ではなくてですね。

いつも父親の暴力や暴言に怯えていた。(特に母の死後は)

母親が生きていた時も、半死半生の目に合わされて、他の兄弟に内緒で、母親に助け出されていたけど。

本心では、父親が殴り出す前に助けてくれよ。

何をほとぼりがさめてから助けに来ているんだよ。

心の奥底では、どんな茶番だよ、と思いながら生きてきた。

母親に対しても、あぁ、この人は頑張れない人なんだな、と諦めの気持ちを持っているだけ、という印象だったのですが。


最近では、母親は、頑張れない人でもあったし。

私が苦しんで、助け出すことをする事で、自分がいい人だと思い込もうとしていた人だったんじゃないかな、と…。

そんな風に思えてきて。


本当は酷いことですよ、非力な子供が大人の男性の暴力に晒されている。

現実を直視するのが、つらい。


子供は自分ひとりの力では生きていけない。

子供を助け出す事で、子供(私)に必要とされる人間だと思われたかった。


それは、私に対して、というより、自分に対して、自分はいい人だと思い込みたかった。


でも、心が傷ついて、苦しくなって、宗教に逃げた。

そして、自分の心を感じなくするために、心を陶器のように固く閉じ込めて、自動的に動くようにしていた。

まさに、人形として、生きていた。


…結局、病気で若くして亡くなったのですけど…。

(私はそれを、消極的な自殺だったのでは?と高校生ぐらいから考えるようになっていた。

それまでは、自分が母親を死なせた、という思いを抱いて、罪悪感を持っていた。)


そんな風にね、母親のことを、人の心を無くした、人形のように感じていて。

私自身も、自分の心を固く閉じ込めて、感情を感じさせないようにして、生き延びてきていた。


でも、どこかで、自分は母親より幸せになってしまってはいけないんじゃないかって。

遠慮して、母親をかわいそうに感じていた。

ある意味、母親を不憫がって、そんなつもりなくても、見下していたんですよね。

それを感じ取って、母親は余計に私をかわいがらなくなっていたのでは…。

なんて、思うわけでもあります。

(夕馬さんの説明とかで、そう思うようになったってのもあります。)


そして、父親に対しては、自分が結婚しないとか、子供をもっていないという、世間一般の幸せから遠い生活を送ることで、親に対して復讐をしていたんじゃないか…。

そんな気持ちになっていたような気がするんですよ。

不毛だな…。

でも、そういう幼心がどこかに引っかかっていて、今、現在大人である私の行動がちぐはぐになってしまって、エラーを起こしている。

そんな気がしていますよ。

ではでは、最後に夕馬さんに、ご自分の人生の満足度合いを具体的に数値で確認してみましょう、といわれております。










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(満足度)12月京都不思議空間体験談⑬

(ティーブレイク)12月京都不思議空間体験談⑪

comment iconコメント ( 2 )

母親より幸せになっては いけないと考える必要は無いと思いますよ。一般論で言えば、自分がAさんより幸せになったら、Aさんに幸せを分けてあげれば良いと思います。Bさんより不幸と感じたら、Bさんから幸せを分けてもれえば良いと思います。Bさんは無償でしんじゅ☆♪さんに、幸せを分けてくれるかも知れません。その時、しんじゅ☆♪さんは、その人に感謝するだけで、問題は無いと思います。

名前: takereorin [Edit] 2015-12-25 09:58

Re: タイトルなし

そうですね!
takereorin さんのおっしゃるとおりですね。
クリスマスプレゼントをもらった気分ですよ、ありがとうございます^^
メリクリです!

名前: しんじゅ☆♪ [Edit] 2015-12-27 00:10

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