その時、赤ん坊が鳴き声をあげました。

母親はハッと我に返り、子供を抱き上げ、おしめの交換をしました。

その後、私を見て、おもらしをしていることに気づきましたが、何も咎めませんでした。

黙って、布団をめくり、乾燥させるような感じにして、服を脱がせ。

洗濯機の中に、濡れた服をほおりこみ、お風呂に入らせました。


その後の事は、よく覚えていませんが。

母親は涙ぐみながら、ドライヤーで私の髪の毛を乾かし。

ただでさえ、おもらしで布団一つ減った室内で、母と弟と三人で、その夜は眠りにつきました。


母親は気が動転していたのでしょう。

あの晩、わずか4歳の子供が口にするには、あまりにも大人びた口調だったことを疑問にも思わず、問答をくりかえして。


私は、それからも、折を見て、自分を連れて、この家を出て欲しいと懇願しました。


そうして、その内、母親は疲れ果て。

私を父親といっしょに寝るようにと、部屋を追い出すようになりました。


この頃の私は、保育園にも通っておらず、母親の手によって育てられており、外の世界をまるで知らずに育っていました。


朝はとにかく、忙しく働く母親の姿を見て。

昼間、ちょっと落ち着いた時に母親に擦り寄ろうとするも、私と目を合わせてくれなくなっていました。

子供心に、私はなにかまずいことをしでかしたんだ、と思いつつも、自分では理由が分からず困惑するばかり。


母親が、物陰に隠れて泣いているのを見て。


どうしたら、私を抱きしめてくれるのか。

どうしたら、私に笑いかけてくれるのか。


子供心に一生懸命考えて出した結論が、『いい世の中にする』というもので。


いい世の中になれば、母親も気が晴れて、笑顔になって。

きっと、自分のことを抱きしめてくれると考えたのでした。


性的な事はともかく、その後も父親からの折檻を受け続けた私は、暴力におびえる生活を続けます。


母は、その後、宗教にのめり込むようになり。

死亡する一年前ぐらいから、ヒマワリ教(仮名)に頼るようになり。

家の中のお金をたくさんむしり取られる事になりました。


小学6年の春に母親と死に別れた私たちはさらに経済的に困窮するようになりました。

中学に上がると、父親からの暴力はひどくなり。

高校進学を諦めさせるために、教科書を焼かれたりもしました。

成績が悪ければ、高校もいけないだろうとの妨害工作のようでしたが、私は親戚の援助をとりつけて、商業高校へと進学を果たし、そのまま地元に就職しました。


いつの間にか、私の目的は、『いい世の中にする』というものになり。

全体のことを考えて、みんなが幸せな世の中にする、という目標の元に、勉強をがんばりつづけて。


何度も気持ちがくじけそうになっても、何度も踏みにじられても努力を続けることができました。









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説得失敗(少女時代68ー③)

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