最近、めちゃ眠くて、テレビ観てなくて、真剣に地震のニュースをスルーしちゃっていたのですが。


移動の合間とかに、スマホを見ると、みなさんのブログにいろいろ書いてあって…。


モヤモヤしていたんですよ。


自分も震災のことで、なにか書いたほうがいいかな、と思いつつ、モヤモヤ。


九州地方には、縁もゆかりもないものですから、勝手に『ご冥福をお祈りいたします』って、変だなとおもったりしてて。


スピリチュアルの分野で、スピリチュアルっぽいことをブログにかいたり。


集合意識を利用して、亡くなられた方の解放とか、ヒーリングを散々していた自分が言うのも、アレなんですけど。


被災地に向かって、『私にはなにもできませんが』『お祈りいたします』『ヒーリングエネルギーを送ります』とか…。


なんか、ちがくね?とか、感じて。


いや、いいんですよ、同情する気持ちって、人間の持つ、とてもいい部分だと思うんです。


でも、なんか、そういう事を発信して、はい、おしまいって感じがして。

そういう人ばかりだとは言い切れませんけど、なんか、それ、自己満足ちゃう?って感じてね。


もったいないんですよ。

そこで、おしまい、じゃ、もったいない。


なんか、周りの人の目を気にして、これを言っとかないと、悪人に思われちゃうって感じて、恐縮した感じで文章をまとめて、はい、終わり、じゃ、被災者になにも届かない。


こちらは、なにも被害がなかった、だからおとなしくしていよう、って縮こまっちゃうのもなんか違う。


ベクトルが間違っている。


ヒーリングエネルギーは目に見えない、だからそれはそれとして。


お腹すかしている人に、優しい言葉じゃなくて、食べ物をあげてほしい。

家を無くしている人に、物資を送って欲しい。


被災しなかった人だから自粛しますって、それで経済活動を小さくしてどうするの?って、思う。

被害がない人間は、いつもどおり生活して、経済を回して欲しい。

それどころか、元気に活動して、日本全体の活気を呼び起こすぐらいの気持ちでいてほしい。

それが、巡り巡って、被災地への援助になると思う。


『私にはなにもできない』より『私にもなにかできる』と考えて欲しい。

『祈ることしかできない』より『10円でも100円でも寄付』してほしい。


被災している近隣の市町村同士で物資の奪い合いになりかねない。

それなら、まったく無傷のところに住んでいる人たちから、水や食料やオムツや物資を送付して欲しい。


被災直後の人に、家族でも何でもないSNS上のつながりの人は、安否確認メッセージを送信しないでほしい。

相手が生きていると、確認するだけにして欲しい。


そうでないと、被災している人たちが、ほんとうに連絡したい人とのやりとりの邪魔になってしまうかもしれないから。


少し落ち着いてから、相手になにが欲しいかをたずねて欲しい。

それぐらいの頃に、優しい言葉をかけて欲しい。


今、生きるか死ぬかの思いをしている人に、高尚なことしないで欲しい。


ただ、心を痛めるだけじゃなくて、その善意をカタチにして欲しい。

喫茶店に募金箱もある。

ふるさと納税で、応援する方法もある。


実際にボランティアに出向いて動ける人は動いて。

それができないからって、それで、全部、『私にはなにもできないから』って落ち込まないで欲しい。


人間って底力があると思う。


被災していない人が、被災した人の気持ちになって、落ち込んでいるのは、勘違い。

なにも、苦労していないでしょ?

生活困っていないでしょ?

帰れるお家あるでしょ?

気持ちが塞ぐのはしかたないよ、でも、それでおしまいにしないで欲しい。


優しい気持ちを、綺麗な言葉でくるんで、なにもしないなんて、もったいないよ。

善意はカタチにして欲しい。


私は、そう、願います。











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