先週末、東京にて、ワークに参加してきました。

土曜日は、座学がメインでした。



愛と恐れは同時に出た場合、どうなると思う?という質問が講師の方から出たとき。



私は内心、ボリュームのある方が残る、と思ったのですが。



答えは、両者は共存できない、というものでして。



なにか、非物質で怖いもの、たとえば幽霊とか、バンシー(アイルランドとかスコットランドに伝わる、家人の死を予告する妖精的な存在)を見たときに、愛を投げかけると、実はヘルパーさんだった、という話とか。



(これは、知覚する人間の信念体系によって、死の恐怖にとらわれていると、お迎えに来たヘルパーを、死を予告する精霊とかに置き換えて知覚してしまうこともある、という例えです。)



愛と恐れは共存しないのですよ、というお話があり、印象に残りました。





他には、私自身、以前から感じて、抱えていたヘミシンクでの弱点。

それは、知覚(特に視覚に強い)が、それに引きずられて、実際の情報と食い違いがある、という点です。



非物質での体験は、どうしても、それを知覚する人間の過去の記憶の中から、一番近い感じのものを浮かび上がらせて、知覚して、記憶する、というものですから。



私の場合、知覚が、五感フルに感じ取れるタイプでしたので、最初の頃、自分の知覚が、自分のフィルターを通した結果だ、という自覚がまるでなくて。



見たまま、聞いたまま、そのままだと思い込んでいました。



そこで、初めてのレトリーバルをした時、私の知覚では、ダンボールの中に青いビニールシートが敷かれて、その中に赤ん坊がコンクリ詰めされて、青いビニールヒモでくくられている、という情報でしたが。



その後、ネットで得た事実では、赤いクーラーボックスで、フタが開いた状態で見つかった、という記述を見て、いったんはヘミシンクをやめてしまっております。



そんな弱点を抱えていたので、終わりかけの頃に、講師の方にそんな質問を投げかけたら、少し驚かれて。



それは誤差に入らない。

赤ん坊がコンクリート詰めされていると、知覚しているだけでもかなりの精度だ、と言われて拍子抜けしております。



その後、自分の日記を読み返してみると、事前情報としてテレビのニュースで、赤ん坊がコンクリート詰めされていた、と聞いて知っていたので、その知覚は特別ではない、とも思い直したのですが。



非物質の体験を、事実そのままに知覚することはとても難しいものなので、長方形のような、四角い容器の中に赤ん坊が入っていた、その一致だけでも、とてもいい感度をしている、というような事を言われても、自信がなかったのでした。




その日は、思いのほか肌寒くて、講師の方とお食事をご一緒していただいたあと、宿泊予定のホテルに向かったのですが、途中でドンキホーテを見つけて、ロングTシャツなどを購入して、ホテル入りしております。



セミナー会場とは、駅を挟んで反対側だったのですが、後楽園が見えて、ライトアップされた観覧車とか、遊具とかを眺めて、まだ周りに子供たちとかがいて、都会ってすごくキラキラしているなぁ~って驚きつつホテルを探していました。打ち上げ花火




まぁ、お約束的に、かなり迷って、なんとかたどり着きましたが。

なんか、こ寒い…。



暖房を入れようとすると、26℃とかなのに、やたら寒い…。

ドライか冷房しか入んない…あぁ、メカ音痴。



もう、めんどいから、空調入れずに、寝ちゃえ、と思ったけど、布団が薄くて寒い…。



宿題の、愛を思い出して、愛を贈る、というワークを2回チャレンジしてみたのですが、深呼吸を3回したあたりで、クリックアウト…ってか、寝てます。



諦めて、翌朝に持ち越すことにしてみました。




うっすらと、明日の課題は、亡くなった母親の名前を持ち出すことを思いながら。

この課題が当たった人にとって、意地悪な問題になっちゃうかもなぁ…なんて思いました。



人様に、課題として差し出す故人の名前。

普通に考えて、その人にとって、懐かしさを覚える、親しみを覚える人物であるはずでしょうから…。



私の母親は、父親に虐待された私のことを子供の皮を被った悪魔とののしる…。

自分の保身の為に、子供を盾にとるような人物でもあり。



世間体の為には、子供が一人死んでも構わない、という判断をする母親…。



世の人が思うような、母娘像とは、かなりかけ離れた人物…。



私自身、ゴーング・ホームを何度チャレンジしても、母親に会えた記憶はなく。



どこかで避けている、そして今もなお、囚われ領域にいるのではないか、という気がする人物。



一度だけ、F27で会った時は、そこでヘルパーをしている、私を応援している、と言っていたけれど。



母は、私のことを、どう思っているのだろう。

応援してくれているのか、それとも無関心なのだろうか。




そういえば、木曜日に大阪駅で会った人。

まるの日圭さんのセミナーでご一緒して、封筒に入れられた紙の中の私の母親の名前を見て。



赤い色の服を来た、パーマヘアのメガネをかけた人、と知覚してみえて。

心底驚いた覚えがあります。



私の母は、当時としては少し珍しく、いつもパーマをかけていましたし。

赤色の服を好んで着ていたのです。

そして、私は自分のブログで母親との思い出をいろいろ語っておりましたが。

母親が銀縁メガネをかけていた、とは一言も記述していなかったのです。



そもそも、私の名前を見て、『しんじゅ』と同一人物とは分かるはずもなく。

そんな偶然の一致があるものだろうか、と納得せざるを得なかった覚えがあり。



明日の課題でも、私の母親を赤い服を着た女の人だと知覚する人がいるかもしれないな…なんて思いながら眠りに就いたのでした。











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