過去に人に言われた言葉がひっかかってしまうって事があって。

それで、がーっときつい気持ちになる時がある。


で、いろいろ考えるに、どー考えても、私、悪くない感じで。

相手の自分本位な意見を押し付けられていただけだよなぁって思う。

相手に悪意とか悪気がないし、とか、なにか事情があるかも?とかいろいろ気にしちゃうけど。

要するに、言われた言葉で心がとても痛かったっていう事なんだな、と。

そんな言葉を真に受けずに、傷つく必要なんかないんだ、という理屈も頭をもたげるけれど。

そんな事情は関係なく、とてもとても傷ついた、それだけだったんだなぁと思う。




先日名古屋の真名圭史さんの講演会に出向いた。

実は名古屋に出向くのは怖かった。


ヘミシンクの関係で知り合った名古屋の人とこじれた過去があったから、顔を合わすかも、とか。

知り合いのヒーラーさんから聞いた話だと、名古屋のヘミシンクをする人には、しんじゅさんはちょっと…とか言われてたとか。

私は身元バレが怖くて、愛知県民だけれども、ヘミシンク名古屋に所属していないし、実際はそんな知り合いはいないけれども。

名古屋の独学者の集いで、「あぁ、あのブログの作者の人ね。我々は真摯にヘミシンクを学んでいるので、自分たちに声をかけないで、才能のある若い人たちで好きなようにやってください。」とニヤニヤ珍しいものを見た感じで笑われたりとかしてて、苦手意識があった。

あーゆー集まりに行くと、私は特に男性からウケが悪い。



過去に個人情報を晒すぞ、とか書き込みもされたりしてて、恐怖を覚える。

悪質なのは自分の親なので、私は堂々としていればいいと思うけれど。

個人特定されてしまった結果、同じ市内に住む身内にどんな風評被害が及ぶだろう…と考えると胃が痛くなる。


辛い、怖い、なぜ、そんな悪意を向けられるんだろう…。

怯える気持ちがぶり返す事もあるが、気にしていたらなにも楽しめない。


しかし実際に講演会に参加してみたら、特に知り合いはいなさそうで安心した。

そもそもヘミシンク関係で参加した人ばかりでもなさそうだった。


正直言うと、真名圭史さんの本はしっかり読んでいなかった。

アマゾンでぽちっといたつもりが、カートに入ったままで、結局当日に3だけが到着して、名古屋行きの電車で気になるところだけ読んでみたが、特に難解な感じは受けなかった。

メルマガは読んでいない。(やりかたがわからない。)

最初に本の内容は講演会でざっと説明も入ったし、分かりやすい感じだ。


でも、質問者の方の質問を聞いて、驚いた。

今の説明、聞いていなかったの?という真逆の事を尋ねていたりする。

個人個人、抱えている事情が異なるから、そんな解釈になってしまうのかなぁと思いつつ。

私と違って、既に本を読んでいるだろうに、説明を聞いても分からないのか…。


分からない人の気持ちが分からない…。

どこまで理解できている?その質問が出るということは、もう前提から間違っているし。

この段階で同じ事を繰り返し伝えても理解まですぐには到達できないぞ?

自分ならどう、説明する?

質問者ひとりひとりに深く掘り下げて質問をするほどの時間は取れないはずだ。

これは問題だぞ?と内心焦っていたら、真名さんは、さらりと答えていた。


極論を言えば、質問者にとって、大事なのは理論じゃなくて、解決策なのだろう。

理屈を理解した方が、応用がきくと思うが、今はその段階ではないとすれば、とりあえず実践的な手段を伝えておいた方が、確実に話が早い。

私は質問者の背景や苦労を知らないから、その感情まで理解できないが。

ともかく主観が最初にきて、頭の中が混乱しちゃっているんだろうな、と思うと。

端的な答えをもらったほうが安心もするし、当人も納得いったようだった。


初めは講演会の内容だけでも、これは4000円では安いな~、ありがたいな~と感心していたが。

この質疑応答も含めて、めちゃくちゃ勉強になった。


で、帰宅後、まず3を改めて通して読んでみて。

なんだ、自分も川の流れの中にあって、対岸にある果実を求めて、苦労しているようなものだな、と思った。

講演会にいた質問者となんにも変わらない。

結局自分の事は案外分からなかったりするものだな。

あの時、やたら気になって引っかかったのは、やっぱり自分にも気になるところがあるからなんだ、気づけてよかったな、と思うと、あの講演会に参加した意義が割増に感じる。



いろいろ引っかかる。

どちらかというと、それは自分の弱点のようにも思っていたけれど。

いろいろ気づける、それは人間関係を良好に築くきっかけに利用できる可能性を持っているといえるんじゃないかな。


気づけない人は、気づけないのだろう。

ややもすると、自分が良い、他が間違っている、そんな偏りにすら気づけないまま生きていくことになるかもしれない。

そっちの方が、私にはとても怖いことのように思える。


スピリチュアルって、能力があるとか、ないとか、助けるとか、救われるとか、そんなことに振り回されがちなところがあるけれど。

簡単に言えば、気持ちよく生きていける方がいいよね?っていうメソッドのような気がする。





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