ちょいとネガティブな内容なので、面倒な人はとばしてやってください。


私は、実は、あんまり体力が無くて、すぐへばるタイプなのですが。

気持ちだけやたら強く出ちゃう事があって、つまり疲れているのに、ギリギリまで頑張っちゃう、そして倒れるという下手を打つ人間ですわ。

その最も下手打ったのが、今月頭のふく*ふく癒し市での、ワークショップまさかの当日キャンセルですわ。

後で思い返すと、ずいぶん前から体に変調はきたしていたのですが、「イヤ、俺はまだ頑張れる!!気合だ!」という無茶をしておりました。

後でリカバリーすればいい、大事なイベントの時だけ体が持てばいいっていうスタンスで、もうホントはここから間違っているんですが…。


私、体調が悪くても、平気な顔をしてますので、まったく周りから体調が悪いとさとられません。

病院に行ったら、37.8度とかで、インフルの検査しましょうとか言われて始めて慌てるタイプです。



私の中で、自分が体調が悪いと認める事ができにくい感覚があります。



母「病気になったの?こっちは忙しいのに、そんなの、お金と時間と手間がかかって仕方ないわ。

親の迷惑を考えない、面倒な子ね。

いいわよね、子供は寝ていればいいだけなんだから。」


と、よく言われたのが、子供心に心苦しかったようですし。

その母も亡くなり、思春期になると、父親から毎日のように暴力を受けておりまして。



父「まだ生きていたのか!お前が生きているだけで金がかかる。

お前みたいに役立たずの出来の悪い人間は穀潰しって言って、世の中に必要な人間じゃないんだよ、迷惑だから早く死ね!

それが親に対する思いやりだ!

お前がいるだけで空気が腐る!!

世のため、人のため、俺のために早く死ね!!」



とか、毎日のように言われておりまして。

体調の悪い時に、殴られると、即、骨に響きます。

こちらに体力があれば、体をこわばらせることで、筋肉がはって骨を守ることが出るのですが、ノーガードだと、そのまま骨にヒビが入ります。


つまり、「今、自分が体調が悪いとさとられてはならん。

それを知られたら、何をされるか分からん。」


という、死の恐怖というか、生への渇望というか、謎の防御策が自分の中に出来上がっておりまして、それが足を引っ張っていたようです。


でも、今、私を責めたり、殴ったり、痛めつけてくる人はいません。

そんな人間いません。

私も、もう大人ですからね。


熱と吐き気と腹痛を感じながら、突然キャンセルして、みなスマン…と思いつつも、ウトウトしておりまして。

いや、でも、自分が逆の立場なら、病人を責めたりしないけどな…。

あぁ、そうか、私は自分が弱っているとさとられるのが怖くて仕方なかったんだな。

アカンやん、自分の体調管理しとかないと…とか思った次第です。

自分の体調を第一に考えて、できることとできないことの線引きをしっかりしないと、全部かかえたまま、中途半端になってしまうな、と思いました。




…それで、話がちょっと飛ぶのですが。

実は昨年の10月からずっと軽いめまいがしておりまして、頭に新しい事が入りにくいという状況でした。

仕事が変わったし、20年以上ぶりに車の運転をしたりとかで疲れているのかな?とほかっておいたのですが、流石に2ヶ月も続くと不安になって。

普段、あまり薬に頼りたくないのですが、市販の解熱鎮痛剤を飲んだら、体がだるくないというのが、あまりに快適で感動してしまいました。

以来、薬を飲んで毎日仕事をしていたのですが、年末年始、体がだるくて、億劫でしかたありませんでした。


それで、心の片隅というか、かなりの部分を占めて、頭を悩ませていた事があって。

それは、かつて知人に言われた「放射能の後遺症も治せないくせに、人助けをしていい事をしたつもり?」的な発言が頭の中でぐるぐるしていたのです。


ずーっと悩んでいて。

ずーっと考えていて。


この発言をした人は、私がブログを始めて、実際にお会いした人の中でかなり初期にあたる人物です。

私はブログをするまで、自分の悩みを人に打ち明けたことがなかったんです。

あ、いや、上司がクソだとか、仕事がきついとかそういうのは友だちに話していたんですが。


私が抱えていた悩みは深刻なもので、身近な人には相談できない内容でした。

つきつめて考える、というか、思い出すだけで、頭の中に毒が注入されたように、苦しくなってしまっていて、誰にも話せなかったんです。


それが、ブログに公開してみて。

おもったより反響が大きくて、びっくりしたのです。


そして、お会いした方に、「勇気あるね」とか「つらい思いをした分、これからは幸せになって欲しい」とか言われました。

そして、「身内でつらい思いをしたから、これからは他人を信用して自分に甘えていいよ」と言ってくれたので、その時の私は、自分にはもったいない言葉をかけてもらえた、と、有頂天になっていました。


そんな、身内みたいに感じていた人が、一転して、被災地の人に対して言っていた内容が、不思議なことに、かつて、私の父親が私に言っていた言葉とよく似たものでした。


私は幽体離脱して、被災地の現状を見て、合同レトリーバルを企画するようになっていたのですが、それは私の個人的な体験で、理解してもらえないのは分かるのですが。


私はたくさんの遺体を見て…たくさんの子供たちが目の前で黒い水に飲み込まれるのを見て、助けたくて手を伸ばしたけれど、誰ひとり助けられなくて。

せめて、生きている人を元気づけたい、たくさんの人から善意を集めて、それを被災地へ届けてヒーリングをしたいと思って活動していたのです。

それを、真っ向から否定されて悲しかったですし。

私は優しい言葉をかけてくれた人の事を好きになっていました。

身内みたいに感じていたのです。


その人の言い分は、私には到底受け入れがたいもので…。

しかしその人は、自分はこう考える、と言っていただけなので、間違ったことを言っているわけではないですし、人の主義主張を否定してはいけない。

この人を悪者にするだけでは、自分の成長にならないような気がする。

そんな事を毎日考えていたらフォーカスエリアで目から血の涙を流していたみたいで、マスターに心配されてしまいました。^^;



でも、イベントに向けて、いろいろ準備をしている時は楽しくてしょうがなくて。

あんなに悩んでいたのは、なんだったの?という気持ちです。


それで、私は、あぁ…自分の事を認めてもらえて、嬉しかったんだな。

自分の事を認めてくれたから好きになっていたんだなって。

相手の人柄とか、人格とか、考え方とかじゃなくて、勝手にいい人だと思い込んでいた。

よっぽど、さみしかったんだな。


いいじゃない、人は人。

それはそれで。

嫌なものは嫌だし、好きなものは好きだし。

正義とか悪とか、そんな小難しいことを考えないで。

『そこに愛はあるのか?』で、判断すればよかったんだなぁ~って思いました。


そして、『お前のしていることはうわっつらのことだけだ』的に、相手の言葉を受け止めていたのですが。

今回、有料で、ガイド拝見をします、という参加表明をしたのは、私なりに、上っ面だけじゃなくて、生身の人間の相手をしますよ、という意思表明でもあったんです。


私にとって、人前に出る、というのは、実は非常にハードルが高くてですね。

過去に、ネットに個人情報をさらすぞ?とかおどされたりとか、嫌な思いもして、ちょっと怖かったんです。

それでも、やってみようって、おっかなびっくりな部分もあったのですが、チャレンジだったんです。


まぁ、失敗しちゃいましたけどね^^;

でも、簡易ですが、ガイド拝見レポートを送付させていただいて、その感想を頂戴して、あぁ、私のしてきたことは無駄じゃなかった。

よかった、喜んでくれている人がいてくれて、本当によかったなぁと思いましたよ。




自分の弱さを認めるってことは、自分の強みにつながるんじゃないかなって気がします。

自分にできることと、できないことの線引きをしつつ、無理しないで、今後もやっていきたいと思います。



長文におつきあいくださいまして、ありがとうございました✩











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